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2014-05-10
道政研 北陸調査
- 2014-05-10 (土)
- ささだブログ
5月7日(水)から9日(金)まで、北海道新幹線より一足早く開業する予定の北陸新幹線の開業準備や2次交通など調査のため北陸地域を調査しました。
以下は、北海道政策研究会として一緒に調査した、北口雄幸道議のブログから引用させていただきます。
5月7日(水)は、道議会における政策研究グループである北海道政策研究会(通称:道政研、日下太朗代表)の北陸視察の1日目で、富山県庁を訪問し、来年に控えた新幹線の開業に向けた取り組みを視察してきた。また、富山県議会及び富山市議会の皆さんと意見交換も行ってきた。
富山県を縦断する北陸新幹線は、来年3月に開業を予定しており、県内あげて開業に向けた取り組みを行っているところだ。北陸新幹線は、昭和48年11月の「全国新幹線鉄道整備法」に基づき、東京~大阪を日本海側を経由して運行するものであり、現在は長野県長野市まで開業している。来年3月に開業されるのは、長野市から石川県金沢市までの238kmで、工事費は1兆7,800億円にのぼるという。富山県内は約90kmで、その工事費は約7,168億円となり、1/3が地元負担となることから、2,356億円の負担を想定しているとのことだが、総務省との折衝の中で、一部負担軽減を求めており、負担総額では2,000億円を切る見込みだという。
ハード面での整備では、富山県内に新高岡駅、富山駅、黒部宇奈月温泉駅の三駅を有し、それぞれの駅舎の建設や内装工事、外構工事も急ピッチで行っているという。また、新幹線工事に合わせ、在来線の高架工事も同時に進めており、このように同時着工は全国でも珍しいとのことだ。また、それぞれの駅周辺の整備は、地元自治体が交付金事業などを活用しながら進めており、特徴を活かした整備を目指しており、今年秋までにはハード事業もほぼ完了するとのことだ。
今回の視察の最大の目的が、開業効果をどのように高めるかと言うことであり、富山県においても、ご苦労されている様子がうかがえた。しかし、積極的な予算配置をしながら、新幹線開業枠としては、平成25年度予算で約10億円、平成26年度予算では20億1,800万円を予算化し、開業効果を高める取り組みを行っている。特徴的な取り組みとしては、『観光・交流』事業として「とやまWeek in東京2,015」の実施(6,800万円)、首都圏での観光PR「ふるさと祭り東京」出展(1,800万円)、北陸デスティネーションキャンペーンの推進(2,500万円)、「富山で休もう。」キャンペーン(2,110万円)、首都圏でミニ番組を放送(6,800万円)、首都圏でのCM放映等PR(4,832万円)など、『おもてなし力の向上など県民機運の醸成』では開業カウントダウンへイベント等の開催(2,100万円)、新幹線開業PR物品・広報紙作成等(3,010万円)、新幹線駅構内・周辺花いっぱいおもてなし(1,000万円)など、『産業・地域活性化』としては、とやま食おもてなし推進事業(2,333万円)、「富山のさかな」ブランド化推進(1,186万円)など、『2次交通の整備・充実、基盤整備等』としては、二次交通インフォメーションモデル事業(1,061万円)、富山らくらく交通ナビのリニューアル(1,440万円)などを展開するとしている。
その後の自治労出身の県議会議員、市議会議員との意見交換では、富山県議会における取り組みや予算執行の現状、意見書の採択の経過、新幹線開業における課題等、脱原発に向けた取り組みなど、意見交換させていただいた。
北海道の知事は、富山県出身であるが、同じ富山県人でもこのように考え方が違うのかと、あらためて認識させていただいた。北海道知事も、富山県の取り組みを見習って欲しいと感じたところだ。
2日目(8日)は、北海道政策研究会(通称:道政研、日下太朗代表)の北陸視察の2日目で、富山県から長野県を移動。その間、黒部ダムを視察しながら、立山アルペンルートを通過してきた。また、夜には、自治労出身の長野県議会議員と意見交換を行い、当面する課題などについて、情報交換をしてきた。
今日は、立山アルペンルートを通過する絶好のお天気に恵まれ、運行する関係者からも「最高の日に来ましたね」と声をかけられたほどだ。
早朝8時過ぎにホテルを出発。富山地方鉄道で富山駅から約50分間で立山駅だ。この間、車窓からは、田植えの準備や立山連峰の山々がきれいに見ることができ、」山好きの私としては、最高のプレゼントだ。
立山駅からは『立山ケーブルカー』で美女平まで移動。この間、1.3km標高差500mをわずか7分で駆け抜ける。『立山ケーブルカー』の特徴は、客車と荷物運搬貨物車が同時に移動し、極めて珍しいケーブルカーである。これは、黒部ダム建設時には、大量の物資を運搬するのに、活躍したとのことだ。
美女平からは、『立山高原バス』で、標高2,450mの室堂まで、標高差1,500mの大移動だ。最初は、1m程度の雪の壁であったが、室堂付近の『雪の大谷』では、いまだ14mほどの雪の壁が私たちを歓迎してくれた。さすがに、この雪の壁には驚きである。
室堂から大観峰間は、『立山トンネルトロリーバス』だ。このトロリーバスは、後の『関電トンネルトロリーバス』とともに、トンネル内を往復するため、排気ガスを出さない電機で動くバスであり、無軌道鉄道といい、鉄道に属されるという。
大観峰から黒部平までは、『立山ロープウェイ』で標高差500mを一気に下る。なお、『立山ロープウェイ』は、景観保持の観点から、中間の支柱がまったくないとのことだ。
黒部平から黒部湖は、『黒部ケーブルカー』での移動だ。この『黒部ケーブルカー』は、自然景観保護と雪害防止のため、全線地下を走る、日本で唯一のケーブルカーであり、最大勾配31度もあるという。
こうしていくつもの乗り物を乗り継ぎ、黒部ダムに到着だ。約500mある堤頂を写真を撮りながら歩く。まだ、雪解けが進んでいないのか、ダムの水は少ないように感じる。しかし、このダムが建設され、黒部川第四発電所が運転され、黒部川全体では一般家庭100万戸に電力を供給できることを考えると、先人の知恵と努力に敬意を表するとともに、現在の私たちとしても、原子力発電に依存せず、水力や風力、ソーラー、地熱、バイオマスなどを利用し、再生可能エネルギーを最大限活用したエネルギーの供給体制をもっともっと真剣に考えなければと思ったところだ。
黒部ダムのレストハウスで休憩し、名物の黒部ダムカレーをいただき、松本市への急ぐ。黒部ダムから扇沢までは、『関電トンネルトロリーバス』だ。関電トロリーバスは、今年で開通50周年であり、車両もデコレーションされ、多くのイベントも予定されているとのことだ。
扇沢から信濃大町駅までは、路線バスでの移動だ。そして、信濃大町駅から今日の到着駅の松本駅までは、JRと特急『あずさ26号』だ。おもわず昔の「あずさ2号」を歌いそうになったほどだ。
市内のホテルにチェックイン後、自治労出身で長野県議会である中川博司県議と意見交換。長野県における第1回定例会のあらましをお聞きし、『契約に関する条例(公契約条例)』を可決されたようだ。公契約条例を具体的運用するにあたり『施策例』で例示し、審議会には労働者の代表を入れることとして、この条例の実効性を高めようとしている。また、『子どもの権利条例』についても審議途中であり、第2回定例会の大きな課題になりそうだという。また、長野県は、北海道と同じように企業局のあり方検討を進め、民間譲渡することで議論していたが、3年前の東日本大震災で大きく転換し、今では企業局が小水力発電を新に建設しているという。
3日目(9日)は、北海道政策研究会(通称:道政研、日下太朗代表)の北陸視察の3日目で最終日。今日は、松本市内の「国宝 松本城」と「旧開智小学校」を視察し、松本空港から新千歳空港を経由し、帰宅したところだ。
松本城は、今から約400年前の戦国時代建設されたとされており、当時は「深志城」と言われ、幾多の変遷が変わる中、天正10年(1582年)松本城に改められたという。なお、松本城の歴史や見所は、こちらからご覧ください。国宝に指定され、天守閣を持つお城は四城。兵庫県の姫路城、滋賀県の彦根城、愛知県の犬山城、長野県の松本城である。このように、松本城は約400年の風雪に耐えてきたわけだが、売却や解体、崩壊の危機がなかった訳ではない。明治に入り、廃藩置県後、お城の維持管理は筑摩県が担うことになったが、維持管理費の不足から天守を競売にかけられ、235両で売られることとなった。このとき保存に向け立ち上がったのが、市川量造らである。市川らは、天守を使って博覧会を5回も開き、その益金で天守を買い戻したとのことだ。また、その後もなかなか手入れが施されなり、天守が傾き始めた。そのとき立ち上がったのが、当時松本中学校の校長である小林有也であり、小林は全国に呼びかけ、2万円の寄付を集め、明治34年から大正2年までの間、「明治の大改修」が行われたとのことだ。この工事で判明した傾きの原因が、軟弱な地盤の上に天守の基礎工法として採用された天守台の中に埋めこまれた16本の支持柱の老朽化により建物の自重で沈み込んだことにあると見られている。
国の重要文化財に指定されている『旧開智小学校』は、明治9年に完成したが、洋風と和風を取り入れた日本を代表する擬洋風建築物である。これを表すように、正面には龍の彫刻とともに、天子の像なども飾られている。工事費は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、そのおよそ7割を松本町全住民の寄付により調達したといわれており、町民の教育に対する熱意がうかがえる。また、この校舎は、昭和36年に国の重要文化財に指定されたが、昭和38年の解体移築復元までの間、実際に約90年間使われていたのだ。現在は、各種教育資料が展示されており、中でも「特殊教育のはじまり」では、今回視察した皆が感動したのだ。それは、身体的や環境的に授業について行けない子どもたちをクラス分けし、その担任には最も優秀な教員を充てるというものだ。クラス分け事態には問題もあるが、しっかり指導しなければならない子どもたちに力を入れることが大事なのだ。当時の担任となった輪湖卓三氏は、「一般ノ児童ヨリ能力ノ劣ッタ児童ノ将来コソ其ノ運命ノ程ガ察セラルル」との思いで教育に当たったと紹介されている。学力向上が叫ばれる今こそ、このような考え方が必要だと視察しながら感じたところだ。
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